8月17日の夜から8月20日、再び社内で候補をつのり被災地でのボランティア活動に参加しました。
今回で第三弾となり、少し手慣れてきた心身を感じながら8月17日の夜中から車を走らせ一路、北へ向かいました。
目指すは第二弾で、行った場所と同じ気仙沼大島・・・ 何かやり残した使命に負い目を感じつつも、緊張感のある車内。 現地についても慣れない光景を目にしながら、どこかに復興の兆しを探していました。
フェリーが島に着くと、ボランティアセンターへ。そこでは、会うのは一カ月ぶりですが、まるで30年ぶりに会うかのような現地島民の同志の姿に感動し、 熱い再会の握手を交わしました。
現地の方々は、平気な顔をしていても、とても心に傷を負っています。 一生懸命に気持ちが前に向こうとしているのに体が動かないようなのです。 だから、その気持ちに寄り添って共に動くことが求められているということがひしひしと伝わってきました。 今回は、家主さんもお亡くなりになっていたため5カ月も遅れた民家の清掃作業! 一緒に行った島民ボランティアの方は、 「みんな目を塞いで逃げたくなるようなことだから、誰かがやらなければ!」 と軽く言い放ちました。 現地で連日たくさんのがれきの撤去や避難生活をしていてつらくないはずはありません。しかし、沈痛な雰囲気ではなく、あまりに軽くおっしゃったので、我々はとても簡単に受け止めることができませんでした。 そんな島民の方の言葉に、腐敗臭にも鈍感な鼻や、何度も起きる地震に過敏になる恐怖心も奮い立たせ一緒に作業をすることができました。 何といっても生活感のあるふとんや重くなった畳、まるでどんな趣味の人かを物語るようなお皿、置物の撤去は、三回目でも慣れることはできません。 作業中にもやや強い地震が起き、津波注意報が出され、私たちは急いで高台に避難しました。 幸いにも今回は津波による被害はありませんでしたが、我々はすでに津波の怖さを知っているために震え上がりました。 |
我々は地元に帰れば家族も、家もありますが、現地の人はそのどちらも失われている人がいるかと思うと 心が張り裂けそうでした。
お亡くなりになられた方には謹んでご冥福をお祈りするばかりです。
まだまだ、サンワでの「誰かがやらなければいけないこと」は暫く続きそうです。
更なる活動を誓うばかりでした。